2007/04/24
■ アタミミライマッププロジェクト × 熱海まちづくり研究会
午前11時3分。東京駅から東海道線熱海行に乗車する。いつものように4人向かいのボックス席、奥の窓側に腰を落とし、景色を眺めてジュースを飲む、つもりだったが、この日は少し調子が違った。
「あんた細いわねぇ、、いいわねぇ、、」。おばちゃまコンビの奇襲である、、。「ほんとに細いわねぇ、、あたしのお肉あげようか?」と1人が脇腹をつまむポーズをとると、「ついでにあたしの歳あげる」ともう1人。すぐさま脇腹から指を放したおばちゃまが「お兄さんいくつ?」。「20代です」と返すと「あんた30以上も離れてんじゃない」とおばちゃまがおばちゃまにツッコミを入れる。まるで餅つきみたいなコンビネーションだ。顔を合わせてゲラゲラ笑う3人。
笑いながら「(やっぱりきたか、、)」と心の中で呟く僕。いつかはこういう日が来るだろうと覚悟していたが、ついにやってきたのだ。
もしもこれが反対で、おじさんが女の人に同じ言葉を投げたらセクハラなんだろうけど、おばちゃまてのはその存在自体がすでに権力だから仕方ない、、。
・熱海までご一緒したおばさんコンビ
聞いてみると目的地は熱海だったので、ノートを取り出し、インタビューを試みることにした。
2人は熱海のリピーターで、毎月一度は必ず熱海に足を運んでいるという。今日は海上花火の日ということで、宿の予約を取ったみたいだ。そこで熱海の何がいいの?と聞くと、「お湯以外にいいとこないわよ。外は行くとこなくてつまらないし、旅館に入って、その中で過ごすだけよ」−。
「じゃぁ何で毎月熱海に足を運ぶの?」と聞くと、「私蒲田に住んでいて、電車一本で来れるのね。本当は箱根に行きたいけど、乗換えが煩わしいじゃない。遠回りで時間も掛かるし、熱海はそれに比べたら楽だし、ねぇ」と横を向くと、もう一人のおばちゃまが「そうねぇ」と相づちを打つ。
「何で箱根がいいの?」と聞くと、「あそこは温泉だけじゃないでしょ。美術館とか、色々あるじゃない。色々見て歩いて、外が楽しいもの」と返ってくる。
この日は伊豆山のホテルに宿泊するという熱海リピーターの声。1組のおばちゃまの声だが、ここで得られる示唆は少なくない。
1つは、交通の便や時間的制約といった消極的な理由から熱海という地が選択されていること。本来ならば箱根に行きたいところを、消去法で熱海が残っただけという構図である。
そして2つ目に、この2人にとって、熱海は「温泉地」ではあっても、「観光地」ではないということが読み取れる。ひっくり返せば、熱海にとってこの2人は、「温泉客」であっても、「観光客」ではない。続けるならば、「旅館」にとっては「お客」であっても、「まち」にとっては「通行人」でしかない、ということがいえる。
小さなさじ加減だけど、ここはしっかりおさえておかなくちゃいけない。アカデミックな定義は別として、世間でいわれる「観光」は、マクドナルドのバリューセットに似ているからだ。
おばちゃまがこぼしたように、たとえば箱根には温泉だけではなく、美術館があり、物産巡りがあるといった具合に、多くの場合、「観光」は色んなものがセットになって受け止められる。そういう意味で、熱海はハンバーガーしか注文してもらうことができていない。ジュースやポテト、チキンナゲット、、まちをつなぐ横のラインは崩れているのだ。
僕はここに、地域の横の連帯の欠如を感じずにはいられなかった。たとえば子育ての問題に絡んで聞こえてくる声も、ほとんどこれと変わるところがない。外からやってくる人、内で暮らす人、どちらの不満も、まちの抱える同じ内情から生えている。
そんなまとめを綴ったところで、僕はメモを取る手を休めた。残りの道程、おばさんと3人、談笑しながら熱海に向かう。あっという間の到着後、ホームの上でまた今度とお別れ。だけどもう会うことはないんだろうな。背中を見ながらそんなことを考える。「さよならだけが人生さ」、、井伏鱒二の太ったおっさんだったか、誰の言葉か正確には思い出せない。
・第4回熱海まちづくり研究会.ドット
急ぎ足で「藍花」へ。着いてみると、今日は沢山人が集まっていた。atamistaさんの仲間達が半分!!以前渋谷でお茶した元国観生のGaraさんも東京から駆けつけてくれた。お初見の392さんもいるし、ラジオパーソナリティーのOさん、若女将のozakiさんもきてくれた、、チョイさん、ろっそさんも揃う。すげぇ、、。
・第4回熱海まちづくり研究会.ドット
・アタミミライマップワークショップ
研究会ではふ=とチョイさんが先日の観光戦略室の応募論文をもとに「今後の観光熱海について」と題した報告を。ozakiさんが子育てママのためのまちづくりについてプレゼンを行い、それぞれ意見交換を重ねた。その中で僕は、いよいよ具体的なアクションの方向性が
固まっていくのを強く感じていく(詳しくはまた別の機会に)。
そして次にこの日のメーンイベント。atamistaさんのワークショップが始まる。
・アタミミライマップワークショップ
今回atamistaさんのチームが実施したのは、教育をテーマにしたワークショップ。シートに並んだ60の質問に答え、それを決められた方法で採点すると、自分のこれまでの経験や記憶、嗜好、本人も気付かない深層心理が描写されて、これからの生き方や適職が見つかるというもの。そして最後にはそれが熱海の地図とつながっていく。
ここでは被検者が全員成人だけに、班によっては下ネタが紛れ込んでいたり(僕だけか??)、テンヤワンやの時間だった。それにしてもatamistaさんの進行さばきは見事である。皆さんお疲れ様でした、、。
・懇親会@焼き肉「壽−SUMI−」
・懇親会@焼き肉「壽−SUMI−」
研究会もワークショップも無事に終えて、毎度お楽しみの酒の時間。Trunkさん、コルトさん、マメ子さん、ちゃっぴーさん、きらきらちゃんが合流。今回は網を囲んでの焼き肉となった。
・懇親会@焼き肉「壽−SUMI−」
すると会の途中、ちゃっぴーさんが隠し持った変な金玉で、熱海市観光戦略会議委員の採用をお祝いしてくれました、、。僕はあまり祝福されたことがないから、こういうの苦手なんだけどね。でも皆さんほんとにありがとう、、。(画像提供:Garaさん)← サンキュー。
今日はまだまだ終らない。焼き肉の後は海上花火を見にコルト邸へ移動だ。ドカン、バボン、花火の爆発音に急かされながら屋上に駆け上がる。
・花火@コルト邸
ハナちゃん!!
・花火@コルト邸
タマちゃん!!
・コルト邸
花火に感動するのも束の間、コルト邸の中に招かれると、ここでも花火。玄関や居間で、驚きの声がこだまする、、何だこのお屋敷は。それにしても畳が美しい。さすが畳のプロだ。
・コルト邸
・コルト邸
コルトさんのご両親にビールなどご馳走になる。この日は統一地方選挙の投開票日ということもあって、色んな話を聞くことができた。コルトさんのお父さん、お母さん、そしてコルトさん、ありがとうございました。またお邪魔させて下さい。(私信)
この後は恒例の「いとがわ」へ。しかし記憶を失くしてしまったので、今日はここまで。起きたらatamistaさんの家だった。atamistaさん、泊めてくれてありがとう、、。深謝。
[募集]
熱海まちづくり研究会では、遊びに来てくれる人を大歓迎しています!!地域の内とか外を問いません。飲み会からの参加でも何でも構いません。いつでもご連絡お待ちしてます!!
dukjoo@h9.dion.ne.jp
ふ=
■ カンコーセンリャクシツ その2
観光戦略室から最終審査の結果を報せる通知が届いた。
雨の夕方事務所に戻り、傘をバサバサたたみながらポストを覘くと、ハガキやらチラシ、輪ゴムで縛られた郵便物に混ざって、背の高い縦封筒がぽっこり頭を出している。 まるで市長みたいだなぁ、、と手にとると、左上隅に「熱海局」と印が打たれている。市長かヨ!と思わず一人ツッコミ。ゴムを巻き上げて取り出し、事務所に上がった。
・封を開ける前の通知
・開封後
カッターマットで封を開けると、紙が3枚。「採用」を知らせる1枚と、そして第一回目の会議のお知らせが2枚。
「と、通った、、」、、。
それぞれに2度ずつ目を通して、すぐに携帯電話を鳴らし、atamistaさんとちゃっぴーさんに報告を入れる。
・ビックリワン
電話を切って、しばらく放心状態が続いた。色んな記憶が頭をよぎる。熱海でまちづくりに取り組んでから1年と3ヶ月、何か1つ、大きな句点が打たれたように思う。
これまでとこれからの狭間。第一回目の会議を前にして、今日はこの場を借りて私信を投げてみたい。
atamistaさん、ちゃっぴーさん。2人には本当にお世話になりました。落ちたら二度と上れないほどの深い感謝を覚えています。本当にありがとう、、。
りつさん、k@yoさん、わわさん、タックさん、ぺこじゅりさん、ジェイさん、しょんさん。熱海でのまちづくりを始めたその最初、幸運な出会いに恵まれたと感じてばかりです。皆さんとの出会いがなければ、1月からの活動に踏み切ることはできませんでした、、。
そしてその1月、最初の集まりに駆けつけてくれたもりしさん、Moyaさん。あの日、とても心強く思いました。2人の恩は忘れません。
その後色んな出会いが続きました。ろっそねろさんと出会った日に、そうそうさんと半年ぶりに再会。2人ともあれからずっと付き合ってくれました。その数日後にうめさんと呑んで歌って記憶を失くして、続く集まりにチョイ310さん、Trunkさん、ちあきさんが加わってくれました。
まるさん、Garaさんと渋谷のカフェで夜遅くまで話し込んだり、こっこさんと石川屋でラーメンと餃子、瓶ビールを飲み、コルトさんと何軒もハシゴして、OZAKIさんとは少しリッチな蕎麦をすすりました。あなた達は僕の奔放の犠牲者です。ごめんなさい、、。
他にはまだ顔を合わせたことはないけど、いおこはママさんや、enjoyさん、そしてじつは何て読むのかわからないkentt醇Bさん。温度のあるメッセージに、いつもまるで表情を感じるようです。 そして遠く離れたミハル姉。あんたには奮い立たされてばかりだ。
こうして並べてみると、短い間に、随分色んな人に出会ったもんだな、、。ちっぽけさを味わうばかりの日々だけど、塵も積もれば山となるなら、塵の人生も悪くない。
とにかくマッチ1本火事になるか、これから1年間、賭けて、懸けて、駈けてみようと僕は思う。 ジーパン脱いでパンツになっても許してくれる皆さん、僕はあんた達が大好きだ!!これからも身を削って頑張っていきますので、どうかよろしくお願い致します!!
まちづくラーZ ふ=
2007/04/13
■ アタミカンコーセンリャクシツ
2007/04/10
■「2007 熱海まちづくりフォーラム」を考える その2
− 韓国と熱海をつなぐまなざし −
これより1つ前、前回のブログに呉善花(オ・ソンファ)さんが登場したけど(「2007 熱海まちづくりフォーラム その1」)、機会があって、僕は今年のお正月、母と母の友人と一緒に、熱海の「呉邸」を訪ねてきた。
呉善花さんは韓国から日本に移り住んだ著名な女流作家で、都内の大学で教授を務めながら、ここ熱海市内にアトリエを構え、執筆活動をされている。
・呉邸:窓からの夜景(画面内の人物は呉さんのお友達です)
・呉邸:窓からの熱海市街の眺望
もしもまちづくりのフォーラムなんかを開催した時、そこに呉さんを登場させてみたいと思うのは、何も呉さんが韓国出身で、また熱海にアトリエを構えているということだけがその理由ではない。日本の「もてなし」の文化に対する呉さんの観察を、僕は生のライブで届けてみたいと思うからだ。
呉さんの著書「日本語の心」の中に、「もてなしの文化」と題した一稿が収められている。呉さんは欧米の「サービス」とは異なる日本独自の「もてなし」の文化の源を探求する中で、これを支えてきた人々の精神が、現代社会では後退しつつあることに警鐘を鳴らしている。
考察を結ぶ最後の一文は、熱海に示唆を与えるものだと僕は思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「もてなし」の文化という観点から、日本の企業システムやビジネスのあり方を改めて見直していくことによって、現在ぶつかっている「差別化」や「差異化」の商品戦略の限界を突破していく手掛かりが得られるのではないだろうか。(「日本語の心」 P.155)
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・「日本語の心」呉善花 日本教文社 2006年12月1日
・P.150 − P.155「もてなしの文化」(見開きページを抜粋)
近代化以降、「観光」と「もてなし」を掲げ進化してきた熱海。これから新しい観光戦略を打ち出して、新しいまちづくりを進めていこうとする今、韓国から熱海に移ってきた呉さんのまなざしを、僕は1つ1つの現場に届けてみたいと思っている。
熱海の地元紙さんとかラジオ局さん、ぜひ、呉さんを取材対象やゲストなんかにどうでしょう、、。
ふ=でした。
これより1つ前、前回のブログに呉善花(オ・ソンファ)さんが登場したけど(「2007 熱海まちづくりフォーラム その1」)、機会があって、僕は今年のお正月、母と母の友人と一緒に、熱海の「呉邸」を訪ねてきた。
呉善花さんは韓国から日本に移り住んだ著名な女流作家で、都内の大学で教授を務めながら、ここ熱海市内にアトリエを構え、執筆活動をされている。
・呉邸:窓からの夜景(画面内の人物は呉さんのお友達です)
・呉邸:窓からの熱海市街の眺望
もしもまちづくりのフォーラムなんかを開催した時、そこに呉さんを登場させてみたいと思うのは、何も呉さんが韓国出身で、また熱海にアトリエを構えているということだけがその理由ではない。日本の「もてなし」の文化に対する呉さんの観察を、僕は生のライブで届けてみたいと思うからだ。
呉さんの著書「日本語の心」の中に、「もてなしの文化」と題した一稿が収められている。呉さんは欧米の「サービス」とは異なる日本独自の「もてなし」の文化の源を探求する中で、これを支えてきた人々の精神が、現代社会では後退しつつあることに警鐘を鳴らしている。
考察を結ぶ最後の一文は、熱海に示唆を与えるものだと僕は思う。
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「もてなし」の文化という観点から、日本の企業システムやビジネスのあり方を改めて見直していくことによって、現在ぶつかっている「差別化」や「差異化」の商品戦略の限界を突破していく手掛かりが得られるのではないだろうか。(「日本語の心」 P.155)
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・「日本語の心」呉善花 日本教文社 2006年12月1日
・P.150 − P.155「もてなしの文化」(見開きページを抜粋)
近代化以降、「観光」と「もてなし」を掲げ進化してきた熱海。これから新しい観光戦略を打ち出して、新しいまちづくりを進めていこうとする今、韓国から熱海に移ってきた呉さんのまなざしを、僕は1つ1つの現場に届けてみたいと思っている。
熱海の地元紙さんとかラジオ局さん、ぜひ、呉さんを取材対象やゲストなんかにどうでしょう、、。
ふ=でした。
2007/04/09
■「2007 熱海まちづくりフォーラム」を考える その1
僕が熱海で取り組んでみたいことの1つに、まちづくりフォーラムの開催がある。市長が替わったことでまちの変化に対する市民の期待が高まる中、昨年から僕は、これまでの熱海、今の熱海、そしてこれからの熱海を眺め直して、市民と行政、そして観光客が立場を超えて横につながり、まちの抱える課題や展望が広く共有される機会があったらいいなと考えてきた。
・筆者の呟き
この熱海まちづくり研究会を挙げるだけでも、学校の新しい役割を模索するための地域活動や、インターネットで熱海のポータルサイトを起ち上げて、まちの活性化に貢献しようとする活動、サンビーチの新しい活用法について建築的な提案を試みようとする活動、子育ての環境をよくするために、パパさんママさんの新しいネットワークを結ぶ活動、まちを知り、郷土愛を育むための「熱海の教科書」をつくる活動など、色んな人が、様々な取り組みを見せている、、。
僕はこれらの活動、そして活動に携わる人の存在をもっと色んな人に知ってほしいし、積極的に知ってもらわなければと思っている。興味や関心を寄せてくれる人、何かまちづくりに取り組もうとしてる人、協力してくれるパートナー、、その他諸々、「まち」という怪物を相手に、足りないものや、必要なもの、数え上げればきりがない。新しいつながりがまだまだ必要なのだ。
・筆者の呟き
ニワトリとタマゴ、どちらが先か僕は知らない。だけど、やっぱり自分が動いて、発信しなければと思う。この熱海まちづくり研究会は、お米の粒と粒が寄せ集まった「おむすび」を目指して出発したけど、市民主催のまちづくりフォーラムは、それが1つ、形になって目に見えるようになったものだと僕は思う。
たとえば市長や熱海在住の著名人その他、梅の女王一族の協力も得て、こんな企画なんかどうだろう。
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■ 2007住民と観光客が主催しちゃう熱海のまちづくりフォーラム
「まちづくりだぜ!!そんなのありかよ全員集合!!」
・会場:起雲閣「音楽サロン」
・参加:120名−200名(起雲閣 音楽サロンの収容人員数から設定)
・主催:市民・観光客 有志
・後援:熱海市 他
<基調講演>
・斉藤栄(さいとう さかえ):熱海市長
・講演テーマ:「熱海の新しいまちづくりと観光戦略」(例)
<講演+パネルディスカッションその1>
■ パネラー1
・橋田壽賀子(はしだ すがこ):脚本家・劇作家
・講演テーマ:「ニッポンの熱海」(例)
■ パネラー2
・森村誠一(もりむら せいいち):作家
・講演テーマ:「ニッポンの熱海」(例)
■ パネラー3
・呉善花(オ・ソンファ):作家・評論家・大学教授
・講演テーマ:「韓国から見た熱海」(例)
■ パネラー4
・莫邦富(モ・バンフ):作家・評論家・ジャーナリスト
・講演テーマ:「中国から見た熱海」(例)
■ パネラー5
・斉藤栄(さいとう さかえ):熱海市長
− 司会:梅の女王 −
<講演+パネルディスカッションその2>
■ パネラー 1:熱海に生まれ育って暮らし続けている人
■ パネラー 2:熱海に惹かれ新しく移り住んだ定住者
■ パネラー 3:熱海でお勤め、あるいは学ぶ人
■ パネラー 4:熱海に惹かれ足を運ぶ観光客・マニア
■ パネラー 5:アタミンチューな人
− 司会:梅娘 −
<展示+プレゼンテーション>
・熱海ミライマッププロジェクト
・熱海インターネットポータルサイト+SNSプロジェクト
・サンビーチ海の駅計画
・ちょっといーい?ステーションプロジェクト
・熱海の教科書
・その他
− ブースを設けて市民の様々な取り組みを展示 −
<飲み会>
・熱海の地ビールと梅酒、地唄を肴にサンビーチで大宴会
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
(ここまで)
パネリストとして出てきた橋田壽賀子さんと森村誠一さん、この2人については、もう誰もが知っていることだろう。熱海にとてもゆかりの深い作家さんで、多くの方々がご存知のはずである。
呉善花(オ・ソンファ)さんは韓国出身、莫邦富(モ・バンフ)さんは中国出身で、ともに日本で大活躍している方々。
市が主に韓国や中国といった海外からの観光客を招こうとする中、韓国・中国それぞれの識者の目に映る熱海をとおして、「アジア」という枠組みの中での「熱海像」を浮かび上がらせてみたら面白い。
呉善花さん、莫邦富さんのプロフィールや、2人を熱海に結びつけた意図については、次回以降、詳しく触れていこうと思います。
■ Atami-navi (あたみナビ) OPEN!!
熱海まちづくり研究会.から生まれたプロジェクト Atami-navi プロジェクト。(以前、このブログでも、SNS プロジェクトとして紹介していました。)
そのAtami-navi が、ついにオープンしました!
Atami-naviにはポータルサイト(熱海版Yahoo!!のようなもの)とコミュニティサイト(SNS:ソーシャルネットワーキングサービス、熱海版mixiのようなもの)があります。
熱海に住んでいた方、いま住んでいる方、これから住む予定の方、
そして、熱海に遊びに行ったことがある方、熱海に遊びに来ている方、遊びに行く予定の方、
熱海に働きに来ていた方、働いている方、働く予定の方、
あるいは、別荘をもっていてたまに熱海で過ごす方、・・・
そんな熱海を通してつながる人々の発見と交流の場が、このAtami-naviです。
ポータルサイトで熱海の最新の情報や熱海のお店を知り、コミュニティサイトで熱海に関するコミュニケーションをし、熱海に関心・興味がある人と交流する。そして、コミュニティサイトでの交流が、熱海の隠されていた情報をポータルで発信し、ポータルサイトの情報で新たなコミュニケーションが始まる。
参加して使えば使うほど、熱海に関する情報が増え充実していく・・・
熱海が好きなみなさん、熱海がちょっとでも気になるみなさん、
Atami-naviポータルにアクセスし、Atami-navi SNS(コミュニティサイト)に登録してみてください。
そこで、きっと熱海との新たな出会いが生まれるはずです。
とはいえ、Atami-naviもスタートしたばかり。コンテンツもコミュニティもまだまだこれからです。
Atami-naviを一緒に盛り上げるアイデア・企画や、Atami-naviを一緒に盛り上げていく仲間=Atami-naviサポーター(ボランティア)を募集中です。
熱海のまちを元気にしていくため、そして、熱海が人の交流に溢れたまちにしていくため、Atami-naviを通して一緒に動き出しませんか?
Atami-naviでこんなことをやったらどうだろう?というアイデア・企画をお持ちの方、Atami-naviサポーターとしてAtami-naviに関わってみたいんだけど・・という方はぜひ <<コチラ>>からご連絡ください!
Atami-navi 事務局 市来 広一郎
2007/04/07
■ 丹那神社例大祭:丹那トンネルと熱海
午前8時3分東京発の東海道線に乗って、熱海に着いたのは9時51分だった。駅の改札口を出ると、atamistaさんとちゃっぴーさん、そして4歳のきらきらちゃんが待っていた。合流した後タクシーに乗り、来宮の丹那神社へと向かう。
・丹那トンネル
今日、丹那神社に足を運んだのは、毎年この日に催される神社の例大祭に参加するためである。
境内は丹那トンネル熱海口の真上。丹那神社はトンネルの掘削工事の中で犠牲になった方々を弔うために建立された神社である。例大祭はトンネル貫通を祝うとともに、その犠牲者達の霊を鎮魂し、歴史を再認識する時間となっている。
・拝礼中の人々
・殉職碑
・殉職者を記した銅版には、渡日者の名前も刻まれている。
・同上(拡大)
僕が丹那神社の慰霊祭に足を運んだ理由。
丹那トンネルの掘削は、当時、海を隔て、朝鮮半島から渡ってきた人々が数多く従事した工事でもある。地域こそ違うものの、僕は、彼らと同じ時代に海を渡り、日本に移住してきた渡日者の3世代目という生い立ちを背負って生きてきた。
僕が今日この慰霊祭に参加したのは、そんな労働者達の痕跡に触れることで、同じ熱海でまちづくりに取り組む自分自身の立ち位置を、今一度問い直してみたかったからである。
熱海の発展の礎となった外国人労働者達と、その子孫として日本で生まれ育った僕。
その2つが重なったのはたまたまの偶然に過ぎないけれど、ただ、「観光客」であれ、「労働者」であれ、時にまちの発展が、身を削った「よそ者」の働きによってもたらされているという事実を、僕も、住民も、観光客も、忘れてはいけないような気がしてならない。
・アタミナビ取材中のatamistaさん
同行したatamistaさんはアタミナビの取材。当日境内で催された付帯イベント、太鼓や歌のライブなどを撮影していた。
ちゃぴーさんは元気一杯のきらきらちゃんと一緒に、神社の中をあっちこっちと動いている。
ところで今回、慰霊祭の開催を報せてくれたのは、以前からお世話になっている福島屋旅館のMr.Mさん。そのMさんは大の鉄道愛好者で、境内にはMさん自慢の鉄道模型がこれでもかというくらいのスペースをもって展示されていた。
・Mr.Mさんの大鉄道模型
・Mr.Mさんを囲んで。
午前を回ると例大祭も終わり、後片付けが始まる。僕達は昼食を食べに近くのジョナサンへ。その後ちゃっぴーさん親子と別れ、atamistaさん、ろっそねろさんと3人、車に乗って、ろっそねろさんのオフィス「クレヨンハウス」へ移動。今日はなんと、そこで市長のインタビューを行うことになっているのだ。
・斉藤市長インタビュー
午後3時を過ぎて、市長が「クレヨンハウス」に到着。インタビューは3時半から4時まで、およそ30分にわたった。
この時の模様はぜひ「atami-navi事務局が市長にインタビュー」にてご覧下さい。
このまちづくり研究会の中で、一番背が高いのはatamistaさん。だけど市長は、それよりもっと高かった、、。
熱海もぐんぐん伸びますように、、。
by ふ=
2007/04/01
■ 熱海市観光戦略会議市民委員会 公募申込み
3月31日。この日、僕は観光戦略会議市民委員会の公募に応募を済ませた。応募受付が発表されたのが3月10日。それから3週間、何を書こうか、随分悩み考えてきた。
まちづくりの具体的なアイデアや、あるいはこれまでの活動について書くにはあまりにもスペースが足りず、ならばと理論的な専門用語を並べるのも堅っ苦しくて、そもそもそれは読み手にしっかり届かないだろうし、あんなこんなしてる間に、7通りの文章が出来上がっていた。
どんなことを軸に据えて話を展開するのか、一番大事なことは何だろう、何かを感じて動いてきたはずだし、その衝動は何だったろうか。
答えはじつにあっさりやってきた。
これまでの活動記録をまとめたファイルや、手記、とにかくあらゆるものにヒントを探す中、自身の綴ってきたブログに目を通した時、「ぁぁ、そっか」と、僕は妙に納得する自分を見つけた。いつかの自分の言葉に、シンプルにこころを動かされたのである。ならば、これをそのまま届ければいい。
今回の応募作文は、そんな気持ちで書き上げた。審査のためというよりは、新年度を前に、自分自身を見つめ直すための作業だったように思う。今僕が抱くスッキリ感は、そのことを物語るだろう。
・申込み書類:審査原稿
以下:応募原稿そのまま
■ 今後の観光熱海のあり方について
ひよっこのまなざし − 「観光客」と「住民」のはざまから −
家族旅行はいつもきまって熱海だった。市内リゾートホテルの会員に加入している父と母に連れられ、僕は幼い頃から四季折々の熱海に触れてきた。中でも夏のサンビーチと初島、そして夜の花火は、心象風景の1つとなって忘れられないものがある。
そんな熱海でまちづくりに取り組んでから、1年と2ヶ月が過ぎた。昨年、活動のベースとなるまちづくりの研究会を地域で起ち上げようと決めた頃、特にインターネットでの呼び掛けを通じて、色んな出会いが生まれる中、僕は自身のブログにこんなことを綴っている。
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熱海の何が駄目で何がいいのか、互いに匿名ながら、だけど真面目にコメントし合う数日間、色々と、考えさせられることがあった。
特に強く感じたのは、このインターネットの中でのやりとりが、できるならばウェブ上ではなく、熱海のまちの一角で、あるいは、新橋駅の赤提灯の居酒屋で、他の客のわいわいがやがや、そんな空気に雑ざって持たれることが一番大事じゃないかということだった。
人が集まり、言葉を交わし、そのラリーがやがて渦へと変わっていく。まちの活気というのは、それがつむがれることで膨らむものだと思えてならない。
このブログを起ち上げた時にも触れたけど、お米とお米が寄せ集まっておにぎりになるように、「集まり」といっても、お団子みたいなそれではなく、それぞれ個々人の輪郭をはっきりさせながら、だけど一つにまとまり機能していくチームづくりが、たとえば熱海が変わるためには必要なんだと感じるばかり。
ある程度、インターネットの世界はそれを実現させているかもしれない。だけどそれは、所詮画面の中での出来事にしか過ぎない。どんなにメールのやりとりを重ねても、男女の間に愛情が育まれたとして、しかし直に会うことなしに新しい命の誕生はないのである。
社会に革命が必要なくらいの強い圧迫が人々にのしかかっていない限り、メールだけのつながりから、何か、まちが様変わりするかのような動きが生まれることは期待できない。
「つながっている」ことと、「接している」ことは、違うんだ。ふとそんな考え事が僕の頭を訪れる。
熱海でのまちづくりの研究会は、お米の粒と粒がくっつくための場にしたい。そのために動いていきたいと思うし、そうでなければいけないと思う。
・ブログ「ブログを起ち上げてから」2006.12.9 より一部抜粋
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「研究会」を起ち上げてからは月に1度、定期的に熱海で集いを開き、僕はその言い出しっぺとしてあっちこっちを走ってきた。熱海で生まれ育った人、熱海を離れた人、熱海に移ってきた人、熱海に通い学んだ人、地域の内か外かを問わずに人を結び、立場を越え、まちを動かすために環(わ)をつくる。この「研究会」に託したコンセプトこそ、僕が今の熱海に求める観光戦略そのものなのである。
新しいネットワークを新しい方法で結び、地域を越えて人が集まり、企画し、実践する場を生み出さなければ、熱海は近い将来しぼんでしまうのではないか。僕はまだ三十路前のひよっこだが、建築や都市について学び、デザインやまちづくりに取り組む現場の技術者として、そのことを真摯に訴えてみたい。
「地元住民」を池の水に喩えるなら、「観光客」は、川の水だ。熱海は、この2つの水が混ざり合って脈を打っている。観光熱海のまちづくりは、「住」と「観」が力を足し合うそれに他ならない。
[結]
2007/03/26
■ 年度末企画:政策提言合同演説会 + 845
(編集中)
・爆睡中のフ=
徹夜で仕事を片付けた後、慌ただしく事務所を出る。atamistaさん、ろっそねろさんとの待ち合わせ時刻がギリギリまで迫っていた。駅に向かいながら携帯電話。東京に出ているちゃっぴーさんと新宿駅、電車の車両の中で待ち合わせ。すれ違うかとヒヤヒヤしたが無事に合流。頼んで買ってもらっていた新幹線のチケットを受け取り、東京駅から熱海へ向かった。
しばしの休息。
・ちゃっぴーさんときらきらちゃん
熱海の宝物。きらきらちゃん。この子が二十歳をむかえる頃、熱海はどんな姿になっているのか、、。
統一地方選挙に絡み、今日は熱海市の史上初となる政策合同演説会が待っている。選挙の候補者達は熱海の将来像をどこまでつかめているんだろう。
そんなことを考えながらも案の定、やっぱり遅刻だ。新幹線の中からatamistaさんに「すみません」とメールを打つ。
熱海に到着すると、ちゃっぴーさんのお父さんが車で迎えにきてくれた。「お邪魔します」と後部座席に乗り、atamistaさん、ろっそねろさんの待つ喫茶店へ。今日は晴れて暖かい。昨日まで寒かったのが嘘みたいだ。春が近い。
・観光会館にて。
合同演説会が始まるまで、atamistaさん、ろっそねろさんとミーティング。2人が軸となって進める熱海のSNSのプロジェクトについて話を聞き、意見交換。
聞いてビックリ驚いた!!内容についてここでは細かに書けないが、とにかくいい!!これは間違いなく熱海の活性化に役に立つ!!しかも即効性を持って効果を生み出す企画だ。素晴らしい、、。
話の途中で時間が迫り(僕のせい)、「そろそろ」とすぐ先の観光会館へ。と、席に着いたら後の列にTrunkさんが!?
・政策合同演説会の配布物(表紙)
今回の政策合同演説会は熱海市政の歴史上初のイベントということだったが、色んな意味で、僕は寂しさを禁じ得なかった。開催それ自体の意義はけっして小さくなかったにしても、参加者の数をはじめ、物足りなさというか、問題が少なくなかったように感じる。
たとえば会場で配られたA4サイズ3ページ分の配布資料。表紙で1ページ、コーディネーター(司会進行者)のプロフィール紹介で1ページ、そして会場の注意事項で1ページ、、あまり時間がなかったのかもしれないけど、うーん、、。
・政策合同演説会の様子。
今回の合同演説会の開催を誘導したNGOの「リンカーンフォーラム」の紹介がなかったり、当日のタイムテーブルの記載がなかったり、配布資料としての基本的な欠陥がいくつか気になったが、それらはいいとしても、今回の選挙に出馬している各候補者のプロフィールがなかったことはとても残念だった。コーディネーター(司会進行者)のプロフィールで丸ごと1ページを割いているのはどうなんだろう、、。僕は彼を見にきたわけでも、ましてや話を聞きにきたわけでもない。これはとても納得できなかった。
出席されなかった候補者も含めた顔写真付きの一覧を載せたり、1人たった6分しか話が聞けないのだから、フォーマットを整えたマニフェストを記したり、この場を活かしてもっと「公平」に資するための何かはできたはずである。
こうしたことは、普段遊んでばかりなのに試験前だけ机に向かって合格点を狙う議員を生まないためにも、必要なことだと思う。選挙というのは、「誰を選ぶか」であると同時に、「誰を落とすか」でもあるからだ。
・「かぎや」
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・atamistaさんちのレゴ
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