2006/12/09

■ ブログを起ち上げてから

 
東京は雨。
同じ雨が熱海にも落ちているのだろうか。

このブログを起ち上げてから一週間が経とうとしている。
そろそろ第一稿を投げてみたい。



仕事の合間、今日まで何をやっていたのか−。

仲間がこのブログを起ち上げると同時に、僕はミクシイの中に自分のページをセットして、「熱海」をキーワードにあっちこっちと顔を出しては、「熱海まちづくり研究会.」が起動したと挨拶まわりを続けていた。

ミクシイなんかは初めてだったこともあって、書き込んでみても、どうせほとんど無視されて終わりではないかと思っていたが、結果はまったくその反対。始めてまだ僅かばかりの間に、書き込みやメール、思ったよりもずっとたくさんの反応があった。

特に後者のそれはとても積極的で、真剣なものばかりだったと思う。中には熱海の現実について、けっして笑えない話を伝えてくれる人もいた。

協力や参加を申し出ていただいた方々、この場をお借りして、改めてお礼を申し上げます、、。ペコちゃん。


「熱海まちづくり研究会.」を伝えてからの書き込みのパスワークは、今もまだ続いている。

僕の書き込みにAさんが、そこにBさんが現れて続き、Cさんが登場、僕が再び割り込み、すると今度は最初のAさんからメールが届き、返信する間に掲示板にDさんが現れたかと思うと、今度はCさんからメールが届き、返す間に次はEさんが現れている、、。

熱海の何が駄目で何がいいのか、互いに匿名ながら、だけど真面目にコメントし合う数日間、色々と、考えさせられることがあった。

特に強く感じたのは、インターネットの中でのやりとりが、できるならばウェブ上ではなく、熱海のまちの一角で、あるいは、新橋駅の赤提灯の居酒屋で、他の客のわいわいがやがや、そんな空気に雑ざって持たれることが一番大事じゃないかということだった。

人が集まり、意見を交わし、そのラリーがやがて渦へと変わっていく。まちの活気というのは、それがつむがれることで形づくられていくものだと思えてならない。

このブログを起ち上げた時にも触れたけど、お米とお米が寄せ集まっておにぎりになるように、「集まり」といっても、お団子みたいなそれではなく、それぞれ個々人の輪郭をはっきりさせながら、だけど一つにまとまり機能していくチームづくりが、たとえば熱海が変わるためには必要なんだと感じるばかり。

ある程度、インターネットの世界はそれを実現させているかもしれない。だけどそれは、所詮画面の中での出来事にしか過ぎない、。

どんなにメールのやりとりを重ねても、男女の間に愛情が育まれたとして、しかし直に会うことなしに新しい命の誕生はないのである。

社会に革命が必要なくらいの強い圧迫が人々にのしかかっていない限り、メールだけのつながりから、何か、まちが様変わりするかのような動きが生まれることは期待できない。

 「つながっている」ことと、「接している」ことは、違うんだ。ふとそんな考え事が僕の頭を訪れる。

熱海でのまちづくりの研究会は、お米の粒と粒がくっつくための場にしたい。そのために動いていきたいと思うし、そうでなければいけないと思う。

このページを訪れてくれた方々、もしもよろしければ、ひょっこりでいいので、もっこりと遊びに来て下さい、、。

「場」っていうのは、訪問者がいなければただの寂れた廃墟になってしまうので。それこそ、アタミではなかったか、。

フ=(言い出しっぺ)06.12.9(土)
 

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